発達障害への気づき
ブログの説明でも言及しているが、当方精神障害者保健福祉手帳3級を所持している。
その理由は「躁うつ病」によるものだが、実質的には発達障害によるものである。
発達障害というものを認識したのは2014年頃のこと。
どうにも仕事がうまくできず、また続かないことが続いた。2009年には躁うつ病となり、仕事を休職したが、結局は辞めざるを得なかった。
外にも対人関係がうまくいかなかったり、字がうまく書けない、人の話や電話がよく聞き取れないなど、一般的な人間との違いをこのころから認識するようになった。
そしてたどり着いたのが「アスペルガー症候群」の可能性。
仕事をしながら、本やネットから情報収集し、翌年なんとか発達障害としての受診をすることができた。
その結果、
発達障害の可能性が高い
と。
ただ、確定というところまではいかなかった。
それには根拠として
・小学校から中学校までの通知表
・親からの聞き取り、証言
が必要だったからだ。
すでに通知表は処分(思い出したくない記憶なので)していたし、親からの証言については発達障害を否定される可能性が濃厚で、その後への悪影響を恐れたため、確定診断を受けることはできなかった。
それから約3年近く、いわゆる「発達障害グレーゾーン」として、仕事を転々として雲の日々を過ごした。
精神障害者保健福祉手帳の取得
2018年冬、その緑内障が原因の一つとなり、仕事を馘首された。また躁うつ病がある種のパワハラのため、再発状態になった。
すでに左の視力は失われ、右目だけが頼りの生活を10年近く続けているが、それについては追々記したい。
すでに齢40を超えていてどうすべきか。
これまで以上に何を、どうしなければならないのか。
ある種、人生最大級の危機である。
そこで選択肢として浮上したのが精神障害者保健福祉手帳の取得だった。
これまでに手帳の取得は十分な情報収集をしなかった(できなかった)こともあり、選択肢として浮上しなかった。また2014年頃は、発達障害での精神障害者保健福祉手帳の取得が困難だった(もしかすると記憶違いかもしれないが)こともその理由の一つである。
改めて発達障害について情報収集をおこなった。
仕事に感けていたこともあって、発達障害を取り巻く環境や取り組み、制度等は2014年とくらべて大きく変わっていたことを知った。発達障害による手帳取得も以前よりもハードルが低くなっていることを知った。
そうして過去に受診した心療内科・精神科の診断書等を集め、その年の4月に精神障害者保健福祉手帳3級を取得した。
それは同時に障害者としての人生のスタートでもあった。
そのため、自分の中では2018年に1度死んだことにしている。
色々と異論はあろうかと思うが、それは”自身にとっての区切り”という意味だと認識している。
(続く)