プログラミングの日々。

プログラミング(Python中心に)を学ぶ日々の記録。

広く浅く知る。学ぶ。

このところメンタル面が不調気味。

そういう状況ではあるものの、プログラミングについては方向が見えてきた。

 

まずは広く浅く知るという感覚で初めて、概要をつかんでから少しずつ掘り下げていくことにした。

色々とやりたいことなどをリストアップした上で、現在取り組んでいるのが

  • Magenta・TensorFlow及びImprov RNNによる”AI作曲”
  • BERT(自然言語処理モデル)の概要

の2つ。

 

あまりあれこれ手を出すのは危険だと思うが、得られた知見は確実に記録するなどして、少しずつ究めていきたい。

 

”AI Programmer”というもの。

AIが日本語でプログラミングをやってくれる「AI Programmer」を試してみた。

 

aiprogrammer.hashlab.jp

 

中途半端な指示ではうまくコードを生成してくれないが、

サイトに表記してあるように、具体的に指示をするとうまく生成してくれる。

PCのみならず、スマホからも生成できる。

 

長いものや複雑なものは出力に時間がかかるが、それでも出力される様を見るのは中々楽しい。

 

現在Pythonを重点的にやっている私としては、Pythonと他言語の比較など、学習の補助や学習の効率をあげることに使えば、有用に使えそうだ。

 

最近の”AI絵師”のような論争の類が今後おこるのかはもう少し時間が経たなければならないだろうが、プログラミングという概念にどういう変化をもたらすのか注視したい。

 

 

息抜きの休日。


久しぶり、というより1年以上ぶりに県境を超えてのお出かけ。

 

コロナ禍と春先の父の死。

まともに出かけることが時間的にも経済的にも余裕がなく、

ようやく先月頃から余裕ができて、十年以上の常連のお店に足を運ぶことができた。

 


このところ色々と精神的に余裕がなかったが、

よい息抜きになった今日。

 

今度は間を開けずに足を運びたい。

発達障害と、A型就労支援事業所と、プログラミングと。補記

先の2つの記事についての補足をしておきたい。

 

私の発達障害は一般的には軽度とみなされている。

しかしながら社会への適合性、人との関わりなど、多くの弊害を感じてきた。

 

今のA型就労支援事業所で働きはじめて以降、仕事面に関しては問題が少なくなったと思うが、仕事以外、特に休日に調子が悪くなる時がある。

1週間の疲れが蓄積していることもあるだろうが、発達障害への対処や対策の中で、精神的な消耗を人以上にしているような気がする。

 

そういう状況でも社会的な救済、セーフティネットとの距離感を感じて仕方がない。

障害年金は現在、受給していない。

主治医によると9割近い確率で却下されるだろうとのこと。

一度却下されると次の申請の際の基準のようなものが厳しくなるという。

発達障害躁うつ病の他に、緑内障で左目の視力が失われていることは先に触れたが、

実はもう一つ難聴(主に左耳)にも悩まされている。

確定申告時の障害者控除あたりの恩恵はあるが、なかなか生活を支援・向上を実感させる恩恵を感じられない。

 

そうかといって、あまり権利ばかり主張しすぎるのも好ましいことではない。

自身で少しでもできることはやったほうがいいし、健常者に近づく努力はしたほうがいいと思っている。

そういったことの延長線上に”プログラミングへの挑戦”や”障害者ITエンジニア”の考えがあるわけだ。

 

9月にこのブログを初めてから今日までに、3人の退職者(未確認1名を含むが)が、自分の関わる仕事の範囲で出ている。

そのため直近の1週間はなかなかプログラミングに力を入れにくい状況である。

 

なかなか思い通りにならないことが多いが、自分自身が潰れないようにしていきたいここ最近である。

 

 

 

発達障害と、A型就労支援事業所と、プログラミングと。その2

A型就労支援事業所へ

精神障害者保健福祉手帳を取得したことにより、

障害者就労を目指して就職活動を行ったわけだが、

とにかく精神に関しては非常に冷たい。

銀行系はほぼ門前払いだったのではないかと思う。

銀行系ではないが、ある特例子会社では面接中にあくびをされたりもした。

主に事務系を中心に求職をしたが、全く成果が出ない。

 

結果としてたどり着いたのがA型就労支援事業所(以下A型事業所)。

A型事業所という存在の大半に言えることだが、時間が短い、給料が安いといった面はあるものの、障害者雇用全般がそういう傾向でもあるし、何よりも面接で相性の良いものを感じた。

障害者手帳取得から7ヶ月弱かかってようやく仕事にたどり着くことができ、

今日に至っている。

 

障害者就労の実際と「プログラミングの可能性」

仕事は主にPCでの事務作業をやっていて、主に経理関連の仕事をしている。

外にも、SNS関連やSNSの投稿などもやったことがある。

 

A型事業所やB型就労支援事業所(以下B型事業所)について時々、情報収集をしているが、

運営する側も働く者(利用者)も苦心することが多いようである。

自分の場合は経理業務という”仕事の柱”のようなものを構築できたので、

比較的安定して働くことができているが、仕事についていけなくなったり、体調が悪化して辞めるケースは多いようである。

 

A型事業所やB型事業所にしかり、障害者就労全般に言えることだが

大半が収入面がほぼ最低賃金水準、待遇も不安定。

地方ではそれが特に顕著である。

このままでは間違いなく生活の向上は望めない。

そうしたことの解決の一つとして、プログラミングに挑み始めたわけである。

 

これまで仕事の中でVRやローコード(ノーコード)開発に、業務に取り組んだり、

業務への活用を検討したりしてきたが、どうしてもその可能性や方向性が見いだせなかった。

それを改めて見直し、もっと本格的かつ建設的にしばし思案を繰り返した。

そこで行き着いたのは、

 

「障害者のITエンジニアの育成及び就労環境の構築」

 

である。

 

実現することにより、上記の収入や待遇の改善の向上、そして社会的地位の向上に繋げられるのではないかと考えたわけである。

ただ、育成はまだ良いかもしれないが、就労環境の構築というのは理屈だけで実現させるのは絶望的である。此れまでの仕事を通してそれは強く感じている。

だがそれでも何らかの道筋を付ける努力をしないと確実に実現できない。

 

まだまだ”障害者ITエンジニア育成”については机上の空論の段階でしかないが、プログラミングの学習の合間に色々と思案は続けている。アイディア・目標等々、実現に向けて努力は続けたい。

 

プログラミングで得たことの今後

プログラミングで得たことは、まずは個人的な範囲での活用を主として、

仕事への活用については飽くまでも余力の範囲内にとどめておきたい。

過去に趣味と仕事がコンフリクトして両方が駄目になった経験をしている。

 

色々とやりたいことはあるが、状況によってコントロールして学ぶようにしたい。

 

 

 

 

 

発達障害と、A型就労支援事業所と、プログラミングと。その1

発達障害への気づき

ブログの説明でも言及しているが、当方精神障害者保健福祉手帳3級を所持している。

その理由は「躁うつ病」によるものだが、実質的には発達障害によるものである。

 

発達障害というものを認識したのは2014年頃のこと。

どうにも仕事がうまくできず、また続かないことが続いた。2009年には躁うつ病となり、仕事を休職したが、結局は辞めざるを得なかった。

外にも対人関係がうまくいかなかったり、字がうまく書けない、人の話や電話がよく聞き取れないなど、一般的な人間との違いをこのころから認識するようになった。

 

そしてたどり着いたのが「アスペルガー症候群」の可能性。

 

仕事をしながら、本やネットから情報収集し、翌年なんとか発達障害としての受診をすることができた。

その結果、

発達障害の可能性が高い

と。

 

ただ、確定というところまではいかなかった。

それには根拠として

 

・小学校から中学校までの通知表

・親からの聞き取り、証言

 

が必要だったからだ。

 

すでに通知表は処分(思い出したくない記憶なので)していたし、親からの証言については発達障害を否定される可能性が濃厚で、その後への悪影響を恐れたため、確定診断を受けることはできなかった。

 

それから約3年近く、いわゆる「発達障害グレーゾーン」として、仕事を転々として雲の日々を過ごした。

 

精神障害者保健福祉手帳の取得

2018年冬、その緑内障が原因の一つとなり、仕事を馘首された。また躁うつ病がある種のパワハラのため、再発状態になった。

実は発達障害躁うつ病の他に、緑内障を抱えている。

すでに左の視力は失われ、右目だけが頼りの生活を10年近く続けているが、それについては追々記したい。

 

すでに齢40を超えていてどうすべきか。

これまで以上に何を、どうしなければならないのか。

ある種、人生最大級の危機である。

そこで選択肢として浮上したのが精神障害者保健福祉手帳の取得だった。

 

これまでに手帳の取得は十分な情報収集をしなかった(できなかった)こともあり、選択肢として浮上しなかった。また2014年頃は、発達障害での精神障害者保健福祉手帳の取得が困難だった(もしかすると記憶違いかもしれないが)こともその理由の一つである。

 

改めて発達障害について情報収集をおこなった。

仕事に感けていたこともあって、発達障害を取り巻く環境や取り組み、制度等は2014年とくらべて大きく変わっていたことを知った。発達障害による手帳取得も以前よりもハードルが低くなっていることを知った。

 

そうして過去に受診した心療内科・精神科の診断書等を集め、その年の4月に精神障害者保健福祉手帳3級を取得した。

 

それは同時に障害者としての人生のスタートでもあった。

そのため、自分の中では2018年に1度死んだことにしている。

色々と異論はあろうかと思うが、それは”自身にとっての区切り”という意味だと認識している。

(続く)

 

ワクチン4回目のその後の1週間。

コロナワクチン4回目の副作用は、翌日に患部の痛みと3回目の時のような38度近い発熱あり。

その後は顕著な症状はなかったものの、1週間経過した今日までいまいち本調子の出ない1週間だった。

副作用のため、先週の疲れが取れなかったのかもしれない。

 

プログラミング学習も十分にできるコンディションではなかったので、先の図書館で借りてきたプログラミング学習関連の本の読書を中心にした簡易的学習に。

今度の連休から実践的段階に徐々に足を踏み入れることにしたい。

同時に、最新IT関連全般の動きもこれまで以上に注視していきたい。